毒のある食卓

 

 

 

日々を過ごす中で、その日1日のわたしのあたまの大半を占めているのは、今のわたしにも影を落とす、幼い日々の記憶です。

それは、何をするにもつきまといます。本当に、わたしから引き剥がせない影のように。くしゃみをすると、靴を履くと、何かをわからないと発言すると。片手で鼻をかんで打たれたことを思い出します。何かを握ったまま靴を履いて小突かれたことを思い出します。分からないというべきところを知らないなどと言うとは、親に対しての態度がなっていないと怒鳴りちらされたことを思い出すのです。今も父の顔を見るのも、父という字を、みるのも怖いけれど、あの頃は今とは段違いの地獄でした。明日は殺されるのではないかと本気で思っていました。その頃抱いた恐怖は、わたしの良い抱き枕となって今でも怯えを誘ってくれます。

父はわたしが大人の形になるまで、「猿回しの猿は殴らないと芸を覚えない。お前も猿か」と言って毎日のように罵声とともに暴力を振るったものでしたが、そんな地獄のような日々の中でわたしが最も恐れていた時間がありました。それは食事の時間でした。

食事は家族揃って食べるべきものでした。父の帰りが遅い時に、夜遅くまで待つことは無かったけれど、父の事情以外で家族がつなぐ食卓の円を欠かすことは許されませんでした。そのため、日々父と顔を合わせないようにこそこそと家で過ごしていたわたしには、父と顔を合わせねばならないというだけで恐怖の時間でした。その上、食事の時間はわたしへの説教や罵倒の時間でもありました。成長とともに父の話は伸び、小学校高学年のときには夜中の1時まで続くこともありました。話の内容は、最初は、わたしの成績の話、上手くならないピアノについての話、親への態度の話、ときて、なぜかいつもダーウィンの進化論で終わりました。弱いものは食われる、悪いが俺は弱いものを食っている、お前も弱い弱い下等生物になりたくなければ云々という締めくくりで、わたしが泣いてごめんなさいと言うまで、絶対に終わらなかった。終わらなかったと言ったけれど、実を言うといまも終わりません。すでに成人した身で泣きながらすみませんでしたといわなければならないのは、中々キツいものがあります。お恥ずかしい。

 

父の顔を見るのも、その話も恐怖だった。言われることは日々細かなところが変わるので、昨日言って許されたことが今日も許されるとは限らず、今思えば地雷原を歩くような怖さがありました。

けれど、本当に怖かったのは、本当に恐れていたのはそれらではありませんでした。

わたしが一番食事を恐れていた原因は、母の料理と、それに対する父親の罵倒、そこから始まる口論、時に暴力でした。

本当に恐ろしかった。今も忘れない。

母の料理が悪かったのでは絶対にない。絶対にないのです。父は、母の料理が気にくわないとゴミでも触るような触り方をした。しました。どうかどうか母の苦しみを誰か聞き届けて欲しい。

手料理とは、その人の心なのです。きっと誰もがわかるはず。自分の作ったものを邪険に扱われるのがどんな気分が、どれほど傷つくか。

父は母の料理を、母の人格や実家ごと批判しました。思い出すのも苦しい。それも、毎日、毎日。わたしのことも材料にして母を責めました。あのときの両親の口論。襖に叩きつけられた母の声。暖かなオレンジ色が照らした和室。冷えていく喉、ビリビリとした、吸いづらい空気。

口論の末に母が出て行ったことも何度かあって、その内の一回をわたしは覚えています。

その日の夕食はおでんで、父はそれが気に食わず、なんと言ったのかはよく覚えていません。母は誰も手をつけなかったおでんを捨てて出て行きました。

わたしは打ち捨てられたおでんが、母の心のように思えて憐れで、哀しく、どうしようもない気持ちで、寒々とした蛍光灯の下、捨てられたおでんを食べました。そして後日、罪を償うような気持ちで、母におでんは美味しかったと伝えました。

そんな風に、手料理の重さを知っているにもかかわらず、人と水は低きに流れてしまうものなのか、蛙の子は蛙なのか、わたしも母に対して同じような振る舞いをしてしまうことがあります。今はだいぶマシになったとは言え、心の中はどろりと淀み、心ない言葉を量産し、溢れ出しそうになるのです。10に3つはその言葉も溢れ出します。いつか、その3つも無くすつもりです。

 

「やっぱり女の子は料理ができないと」「あなたもいつかお嫁に行く先でうまくやっていけるように、料理の練習をしなさい」と、いろんな人に言われるたびに、わたしは打ち捨てられたおでんを、自分の心の中の淀みを思います。わたしもあんなことを言われるのか、わたしもあんなことを言うことに躊躇しない化け物になるのか、それが怖くてたまらず、しかし避けがたいものにも思えて、わたしは絶対に誰かと家族という形で食卓を囲むまいと、この胸に何度も刻みます。

 

食事はひとの大事なエネルギー源です。そして、食卓は心に英気を養う源でもあります。我が家の食卓は、毒に満ちていました。毒はわたしたちの心を殺し、失ったものは二度と帰らない。あるフリで振舞うしかない。

だからどうということはないんだけど、だからどうということは、ないのに

今日もとても苦しい

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なにもないすべての日に

ブログ?を書くのは久しぶりです。インターネットの恩恵を受けに受けて受けまくって育ちましたがブログとサイトとホームページの違いがわかりません。ホムペが流行った時代にホムペを作ったと思うのですが、正直あれがなんだったのかも、よく、わかりません。

今日は台風を言い訳に、学校に行く予定をとりやめにして、けれど、珍しくそんな怠惰な自分に鞭打って学校に行こうと思ったのに、念のために調べてみたところ用事のある建物は祝日で休館日らしい。ので、メイクをするために出したお道具は全部無駄になり、鏡の中で乳液を纏っててらてら光る間抜けな顔をかといってどうすることもせず、今日は、今日も、部屋で過ごしました。

最近知ったのですが恐ろしいことに何もしなくても1日は終わります。過去に中学生だった頃、なんでかわからないけど何もできませんと言ったら通っていた塾の塾長が、「遊びたいだけ遊べば遊ぶことにも飽きる」と言っていました。それが本当なのかはわかりませんがとにかく何もしないことには飽きたことがないし何もしないまま1日は終わります。恐ろしい。なんとなく洗濯が終わって散らばったままの4着くらいの下着を三時間かけて片付けて、たまにスマホの画面に乗せた指を動かして、それで1日は終わりました。何をしていたのかサッパリわかりません。何かくだらない文章を読んだ気もするし、何か書いた気もするけど何も覚えていません。

つい数時間前にわかったことですがわたしは、わたしが何もしないのは父に何も言われたくないからです。食事もお洋服もメイクも外出も、時に勉強も、音楽を聴くのも本を読むのも全て、何か言われるのが嫌だからです。否定されたくないし、非難されたくない。ない、ないの気持ちで今日が終わりました。ない、ないの気持ちはかけたことを忘れたメガネの様で、気がつくととても違和感があるけど外すととても不安になるのです。親元を離れて外泊をすると何故かとても悪いことをしている様な気持ちになるのと同じ。誰かに責められる気がする。何も悪いことしてないのにね。

わたしの部屋のあらゆるところに積んである本には全てブックカバーがかかっています。ジュンク堂のブックカバーは安心の色です。わたしのこころを覆う、こころを形作る本を隠してくれます。皮脂や咄嗟のコーヒーなどよりも、ずっとこわいこわい敵から、家の中に部屋の中に現れる陰から本だけでなくわたしのこころを守ってくれます。あなたに言われた言葉のひとつひとつ、わたしは忘れない。

全てのことにブックカバーがほしい。安心の色がほしい。外にいるときでなく、家にいる時に、わたしはいつもわたしが隠れられるほどのあの安心の色を探している